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ゼロについて(6) インドのゼロと数学の歴史

インドはゼロを恐れない

 アレクサンダー大王がインドへ侵攻した紀元前4世紀頃、インドへバビロニアの数体系が伝わります。大王の死後西洋の影響を受けることがなかったインドでは西洋のように「ゼロ」を恐れることはありませんでした。

 インドが「ゼロ」を受け入れた下地にはヒンドゥー教の影響があります。

 ヒンドゥー教では
 「宇宙は無から生まれ無限に広がり、この宇宙の外にはほかの無数の宇宙が存在する。そしてまた再び無に到達することが人類の究極の目的だ」としています。
 「ゼロ」や「真空」を恐れることがなかったのです。インドでは「無限」や「無」を簡単に受け入れることができ、空位を表すゼロではなく「数」としてのゼロを用いることができました。ゼロを有益な「数」としての役割に変えていきます。

 このように日本の弥生時代の頃、世界では数学が常に進歩を続けていました。紀元前の数学の歴史を少し眺めてみてください。中学生、高校生なら知っている定理などがこの時代すでに証明されたり計算されていました。

数学の年表

紀元前1000年頃
古代エジプト分数が利用される。(分子が1の分数のみ)

紀元前10~5世紀頃
インド:太陽と月の運行が一致する現象が95年周期である。

紀元前8世紀頃
インド:無限に関する初期の概念が現れる。もし無限から一部を取り除いたり加えたとしても、変化後もまた無限であると述べられている。

紀元前800年
インド: 2次方程式2の平方根を計算、10進数5桁まで正しい値を求めている。

紀元前600年頃
インド: 円周率を3.16と概算している。

紀元前5~1世紀頃
中国:3次の魔方陣を扱った書物が中国で作成される。

紀元前530年
ギリシャ:ピタゴラスとその弟子達は2の平方根から無理数を発見した。

紀元前500年頃
インド:演算の計算順序、変換、漸化式の使用法が書かれる。

紀元前5世紀
インド:2の平方根を計算、10進数5桁まで正しい値を求める。

紀元前400年頃
インド:あらゆる数を可算、非可算、無限の3つに分類。また、無限を5つの異なる種類に分類している。

紀元前4世紀
インド:数学書で0の概念を意味するサンスクリット語の単語「Shunya」が使用される。

紀元前330年
中国:幾何学の初期の書籍が編纂される。

紀元前300年
ユークリッドが原論の中で素数が無限に存在することを証明しユークリッドの互除法を発見する。算術の基本定理(素因数分解の一意性)を証明した。

紀元前300年頃
インド:現代一般的に使用されている10進法の基礎となる記数法がインドで普及する。

紀元前300年
メソポタミア:バビロニア人が初期の計算機であるアバカス(中東地域のそろばん)を発明する。

紀元前300年頃
インド:数学者ピンガラが人類で初めて0を数記法に取り入れる。二進法の記述を行い、フィボナッチ数パスカルの三角形も人類で初めて使用する。

紀元前260年
ギリシャ:アルキメデス円周率πの値が3 + 1/7(約3.1429)と3 + 10/71(約3.1408)の間にあることを証明する。円の面積の求め方3の平方根も非常に正確な値を与えている。

紀元前250年頃
後期オルメカ文明:プトレマイオスに先立つこと数世紀前に0の概念の使用を始めていた。

紀元前206年~紀元後8年
中国:算木が発明される。

紀元前150年
中国:ガウスの消去法が中国の書籍に世界で初めて現れる。

紀元前150年
中国:負の数が中国の書籍に世界で初めて現れる。

紀元前140年
ギリシャ:ヒッパルコスが三角法の基礎を作る。

紀元前50年
インド:インド数字(10進法で初めて位取り記数法を使用した記数法)がインドで発展を始める。

ゼロについて(5) バビロニアのゼロ

数の表し方

「数」としてのゼロが使われる以前、「数」の表記において、ある位(くらい)が何もないとき、何もないことを表す記号が使われていました。
 例えば左から千円札1枚、百円玉2枚1円玉3枚置いたとします。すぐに「1203円」であることがわかりますが、書いて表す(表記)するとしたら、順番通り「123円」ではおかしいですね。やはり「10円玉は1枚もありません」と宣言したほうがわかりやすいですね。ですから「12Δ3円」というふうに表すために「Δ」のような記号が使われていました。(空位のゼロ)

 ところが、古代エジプトやギリシア、ローマでは10進法という10を底(てい) (10をひとまとめ) とする表し方ではあったものの、ゼロを用いることがなかったので次のように表しました。
 ローマ数字 I(1)、V(5)、X(10)、L(50)、C(100)、D(500)、M(1,000)を用いると
 1203はMCCⅢ となります。
 98だとLXXXXVⅢ というように長くなります。

 ではこの2000年ほど前の時代「12Δ3」というような空位を表すゼロを用いた記数法を使っていたのはどの地域でしょう?

バビロニアにゼロが登場

 バビロニアの数は60進法という60をひとまとまりに考えるものでした。

 1~59までは次のように表記します。社会で学習した楔形(くさびがた)文字です。

バビロニアの数字 1~59 Wikipediaから

 

60と1が同じ表記になっています。これは「60が1つ」を表しているので、見た目は1と同じになります。次の61を見るとわかりやすいですね。「60×1+1×1」=「61」ということです。少し隙間が空いていて、左側は2桁目(60のまとまりがいくつあるか)、右側は1桁目(1のまとまりがいくつあるか)を表しています。
 このように一番右の位は1がいくつあるか、その左の位は60がいくつあるか、さらにその左の位は602=60×60=3600がいくつあるか…を表しているのです。
 次は69、70、71です。

 次は3601と61です。

 紀元前300年ころまでは3601は61と同じ表記方法でした。つまり「602×1+60×0+1×1」=「3601」だったのです。これでは「61」の表記と区別がつかなくなります。そこで2桁目には何もないという意味で新しい記号を加えました。これが「ゼロ」です。(図の楔(くさび)が斜めに2つ並んだ部分)

 見分けのつかない数字もあるのですが、それは文脈などでおぎなっていたそうです。

 *右端の位には0記号は使えなかったので、2と120と7200はみな同じ表記になります。

 メキシコのマヤ文明にもバビロニアと同じような使い方のゼロがあり、しかもマヤ文明では数の始まりがゼロでした。ただ、マヤとバビロニアの違いはマヤが20進法を使っていたという点です。

 紀元前4世紀にこのゼロがインドへ伝わります。数世紀の間アリストテレスやキリスト教の哲学の影響を受けなかったインドで「数」としてのゼロが生まれます。